2020年という響きは、幼少期、「遠い未来のこと」と思っていた自分が懐かしく思える。
さて、80年代後半のバブル崩壊から、既に30年以上経つが、日本経済が本当の意味で復活する兆しは未だ見えていない気がしてならない。
バブル崩壊の発端は、米国を中心とする意図的な円高誘導があったことは言うまでも無いが、「自分達が消費仕切れない財(有形・無形)の生産」と「キャッシュレスによる支払いの先延ばし」、そして「将来需要を見誤った金融機関による貸付残高の増大」が根底にあったと考えている。
お金がお金を生む貨幣流通性は、一過性的に機能していたものの、そもそも自分達が消費仕切れる、又は可処分所得で支払ができるボリュームの財であったのか?今、冷静に考えると非常に疑問だ。
昨晩の「欲望の資本主義」を観て、国内人口が減少している日本において、ドメスティックで見た場合の“成長戦略”は、「恐らくは機能しないだろう」と改めて感じた次第である。
自身が米国駐在から帰国したのは、2002年であったが、社内の多くの正社員がパートタイマー契約に切り替わっていたのに戸惑った覚えがある。
当時は、中国を中心とした新興国が台頭し、「ものづくり」という視点での価格競争力を高めるため必然なのか?と考えたが、2020年となった今から振り返ると、得策であったとはどうしても考えられない。
人件費の削減効果は、企業体力(剰余金)の増大に繋がったが、それ以上に外資に対する株式配当金(上場企業)として流出している事実もありそうだ。
株式市場への外貨の流入は、“悪”ではないが、ステークホルダーとしての“従業者”への利益還元が軽視され、ドメスティック市場がデフレから脱却できない主因となっているという考えは、当たらずとも遠からずであろう。
恐らくこれからの日本が目指すべき方向性は、消費財の付加価値の拡大であって、生産数量拡大や原低をベースとした価格競争ではない。「生産数量の拡大は、無益で過剰な宣伝広告を生み出す」と述べた英国の経済学者ケインズの言葉が当て嵌まっている状況ではないだろうか。
資本主義には多くの利点があることは言うまでもないが、2020年代は、政府が一定程度管理する社会主義(軍国主義や国民への強制と意味ではない)の視点も必要になってくるであろう。
そして、日本がより豊かになるには、市場をドメスティックで見るのではなく、海外の消費に目を向けなければならない。
国内においては、「成長」から「安定」へ。
そして、付加価値の高い消費財を「海外」へ。
自身が関与できる範囲は限定的であるが、「今後10年間、日本が豊かになるために、尽力していきたい。」と決意した新年である。